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about Saihoji

「五季」の魅力を味わう

京都西山、西芳寺川の谷あいの豊かな自然に恵まれた静謐な環境。

古墳時代、このあたりは楞伽窟と呼ばれ、常人が立ち入ることのできない秘境とされていました。今なお境内を潤す湧き水は、聖徳太子の時代から存在したといわれています。長い歴史の中で西芳寺が幾度荒廃しても再興できたのは、この地の魅力が多くの人々を惹きつけてきた証ともいえます。

その魅力のひとつともいえるのが苔ですが、作庭当時(1339年)は白砂の日本庭園でした。応仁の乱や、西芳寺川の度重なる氾濫・洪水によって寺は荒廃。洪水が肥沃な土を運んだことで苔が自生し、江戸末期には現在のように苔むした姿になったといわれています。今では35,000㎡の庭園一面を120種類を超える苔が覆い、春夏秋冬に梅雨を加えた「五季」それぞれに一期一会の姿を見せています。

西芳寺の「五季」の魅力をご紹介します。

めくるめく命のはじまり

© Akira Nakata

本堂前の枝垂桜が満開になると、境内は華やかな雰囲気をまといます。苔の合間を縫うように流れる清水が陽光にきらめき、水辺ではカワセミたちが恋の季節を謳歌するようにきれいな声を響かせます。桜の後は新緑が深さを増し、ミツバツツジも咲き誇り、違った世界を見せてくれます。悠久の時の流れの中で、寺全体が春のうれしさ・温かさを味わっているかのようです。

梅雨喜々として潤う雨の庭

120種もの苔に覆われる「苔寺」の境内は、ひと雨ごとに緑を深めていきます。雨上がりは苔の緑も一際みずみずしく、自然の織りなす曲線で構成される苔庭は、人々の心に清々しさとやすらぎを与えてくれます。本堂前の蓮池に浮かぶ蓮は、紀元前の種が現代に蘇生した蓮で「大賀蓮」と呼ばれます。淡紅色の花が咲く姿は、まさに時空を超えたかのような存在感を放ちます。その頃には梅雨明けも近付き、木々の緑が勢いを増す夏本番へと季節は移ろいます。

じっと耐えぬく生命力

木立の静寂を破る蝉の声で夏の訪れが告げられると、いよいよ暑さは本格的に。ふと立ち止まると、冷房とは違ったそよ風が心地よく感じられます。庭園では百日紅がかわいらしい花を咲かせる一方で、境内を覆う苔にとってはじっと耐えなければならない時期。厳しい日照りが続くと苔はカラカラに乾いてひび割れてしまうこともありますが、枯れているのではなく、活動を極力抑えて次の雨を待っているのです。夏の庭は、生命力にみちた自然の力強さを教えてくれます。

錦繍に映える緑

金木犀の香りで秋の到来を感じると、空気は次第に冷たさを増します。澄み渡る空の下、境内の木々がゆっくりと色づき、日増しに秋の色を整えていく光景はまさに一期一会。とくに秋の盛りは境内一面に広がる苔と紅葉のコントラストが見事で、極楽浄土さもありなんと感じさせる光景は、訪れた人に尊ささえ感じさせます。

落ち葉の布団の中で

© Akira Nakata

彩りを失くした冬枯れの庭。しかし、言い換えると冬の庭は見渡しが良く明るい庭でもあります。苔は常緑で、冬も緑色を保っていますが、活動は鈍くなります。休眠状態となって春をじっと待つ間は、苔の睡眠を邪魔しないよう掃き掃除は極力避けます。冬をやり過ごした苔は、気温が上がり始めるとようやく止めていた生長を再開し、鶯が囀り始める頃、新しい季節を迎えます。

季節のあわいも、
また好日

春夏秋冬、そして梅雨。西芳寺の境内は五季それぞれの魅力がありますが、季節の変わり目に、はっきりとした境界はありません。日々表情を変えながら、ゆっくりと移ろいます。梅雨の時期に真夏かと思うほどカラリと晴れた一日があったり、春が訪れたと思えば凍えるほど冷たい風が吹き荒れたり。時には、春の桜が勘違いして秋に花を咲かせてしまうことも。四季という言葉ではくくれない、あいまいな瞬間も楽しんでほしいという想いを込めて、西芳寺では「五季折々」という言葉を使っています。たとえそれが期待していた季節の姿ではなかったとしても、「良し悪し」で自然や庭園を判断するのではなく、ありのままの姿を楽しみ、その瞬間に出会えたことをご縁に感じていただけましたら幸いです。