グローバルナビゲーションへ

メニューへ

本文へ

フッターへ

about Saihoji

世界遺産の庭を歩く

古都京都の文化財として、西芳寺は1994年に世界文化遺産に登録されました。
その理由として、西芳寺が日本庭園史上重要な位置を占めていることが挙げられます。

西芳寺は731年に開かれた法相宗の寺院であり、1339年に夢窓国師が禅宗寺院として復興しています。
復興当初は二層の楼閣瑠璃殿をはじめ、いくつかの庭園建築をもち、池庭、山腹に枯山水石組、坐禅堂指東庵洪隠山山頂付近に縮遠亭が建てられていました。
瑠璃殿は金閣、銀閣のモデルとなった楼閣であり、自然地形を巧みに利用した枯山水は日本最古のものであると伝えられています。眺望という視点等を取り入れた形式は、それまでとは異なる形式であり、後世の庭園に大きな影響を及ぼしています。
指東庵や縮遠亭を含む境内の建築は、足利義政が慈照寺庭園を造る際、忠実に参考にされたことが知られています。

当時は白砂青松であった庭園には、「鯨の背に乗るがごとし」と表現された反橋が架かっており、池には遊魚が満ち、鴨が浮かび、島を小舟で巡る華やかな庭園であったと伝えられています。明の禅僧の間で西芳寺庭園の絵図が流布され、その美しさは隣国にまで届いていたともいわれています。

1469年に応仁の乱により建物は焼け落ち、当時の建築がそのまま復興されることはありませんでした。その後、江戸時代の寛永年間と元禄年間に相次いだ洪水の被害を経て、江戸時代後期より庭園に苔が繁茂しはじめます。
夢窓国師が整備した地割(池の形や島の配置、石組など)は苔に覆われ、現在に至るまでその形をとどめています。庭園内に点在する建築との一体性も特徴的です。
聖徳太子の頃より湧き出ていたと伝わる夕日の清水をはじめ、湧水が豊富な谷間に位置し、山麓の豊かな自然環境に囲まれる中で、信仰の場としての建造物、庭園、境内は、今なお静謐と清浄さを保ち続けています。

世界遺産の庭を歩く