2024.9.15
生活の禅語 「知足」
読み下して字のごとく、足るを知る。
風邪をひいた際に、健康だった自分はなんて恵まれていたのだろうと思った経験はないでしょうか。
健康であればあるほど、その大切さを忘れて、別の欲を外に求めてしまうのが人間であります。
あるいは、家族と離れて過ごすことになると、その存在がどれだけ自分にとって大きなものであったかに気付く瞬間があるのではないでしょうか。
いつもそばにいることが当たり前になると、普段の何気ない支えや愛情に感謝することを忘れてしまうものです。
健康
・
家族
・
今生きているという事実
など
そのような「目の前にある当たり前の大切さ」に気付くことは難しいです。
ではどうすれば良いのでしょうか。
私の見解ですが、一番はお寺に行ってご本尊様に手を合わせお参りし、自分を見つめ直す時間を取ることだと思っています。
世の中に溢れている魅力的なものは、「○○が欲しい」という外向きのベクトルですが、今一度それを断ち切る際に、ご本尊様に手を合わせて立ち止まる時間、いわば内なる時間を取るというのは心をすっとさせてくれます。
ご本尊様に手を合わせる際に、今ある当たり前を思い返し、ただそれに感謝をする。そして、本当に自分が今したいことを考える。すると、自分の中からヒントがもらえることがあります。そういう意味では、本当にしたいことは外に求めても何もなく、内(自分の中)にあるのだと思います。
言い方を換えると、現代は“物質的に”非常に豊かな時代です。だから欲しいものも際限なく求めてしまいがちですが、現代人の多くはそれに疲れている。そして立ち止まる時間を欲しているのだと思います。ジムやサウナが流行る1つの理由は、他の何かを考えずに立ち止まれるからなのでしょう。
これを機に、お好きなお寺や近くのお寺に行ってご本尊様に手を合わせてお参りし、自分自身を見つめ直す時間を取っていただければ、幸いです。
合掌
洪隠山西芳寺 藤田隆浩