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2026.9.15

生活の禅語 「一日不作、一日不食」

禅語とは、より良く生きるための禅の教えを説いた言葉です。忙しない日々のなかでふと立ち止まり、自分と向き合う時間を持つ。そのきっかけとなる禅語を、西芳寺の副住職・藤田隆浩が紹介します。


今日一日を一生懸命に生きなければ、食事はいただきません。
そうした自分を律する心を表しているのが、「一日不作、一日不食いちじつなさざれば、いちじつくらわず」という禅語です。

もとになったのは、8世紀から9世紀にかけて中国で活躍した名僧、百丈懐海ひゃくじょう えかい禅師の言葉。百丈禅師は、歴史上初となる禅宗の規律『百丈清規ひゃくじょうしんぎ』を定めた人物でもあります。

百丈禅師は、ご高齢になられてもなお変わらず、弟子達と同じように薪割や農作業などの作務をされていました。作務は、禅宗において大切な修行の一つですが、弟子達は百丈禅師の身体を案じ、休まれるよう繰り返しお願いしました。しかし、一向に聞き入れてもらえません。

そこで弟子達は、なんとか百丈禅師に休んでもらうためにも、鍬や鎌などの作務道具を隠してしまいました。こうして百丈禅師は、やむなく作務をやめることになります。しかし今度は、食事の時間になっても食堂じきどうに来られなくなってしまいました。弟子達が食事をお部屋の前に持っていっても、召し上がることはありません。そんな時に、百丈禅師がおっしゃった言葉が「一日不作、一日不食」です。

「今日一日、自分の務めが十分に出来なかったので、食事はいただけない」ということです。

類義語として、よく「働かざるもの食うべからず」が引き合いに出されますが、意味は異なります。

一つ目の相違点は、この禅語が働くこと(労働)に限定していない点です。当たり前ですが、病気で動けない人や赤子は、働くことができません。ですが、病気の人であれば、懸命に医療処置を受けること、そして対応してくださる方に感謝することができます。赤子であれば、色々な欲求を泣いて表すことができます。この禅語は、どんな人に対しても、その日を懸命に生きたかどうかを問うているのです。

二つ目は、対象が自分か他人かの違いです。「一日不作、一日不食」は、あくまでも自律的・自発的に自分を省みる言葉です。他人が何を言うかではなく、自分にとっては十分なのか不十分なのか、自分で自分をどのように評価するかが大切です。一方で、自分に甘いゴールを設定してしまうと元も子もありませんので、この塩梅は大変難しいところとも言えます。

現代では、コンビニなどで食べ物を手軽に手に入れられるようになりました。ですが、どのような食事であっても、その背景には自然の恵みをはじめ、作ってくださった方、運んでくださった方など、多くの存在があります。

ですから食事の際には、先ず手を合わせて、今こうして食事をいただけている有難さに感謝してみてください。そして自分と向き合い、今日一日この一食をいただくだけの行いが出来たのかを、振り返ってみてはいかがでしょうか。

「一日不作、一日不食」は、他者からの評価や数字だけでは測れない部分で、自分を律していくことの大切さを教えてくれる禅語です。

合掌
洪隠山西芳寺 藤田隆浩

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