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2026.7.15

生活の禅語 「破草鞋」

誇れる実績を築き上げたとしても、それに執着していては前へ進めません。
過去の栄光にとらわれず、次に向かって歩み出すことが大切です。

こうした姿勢を表す禅語のひとつが「破草鞋はそうあい」です。

破草鞋とは、読んで字のごとく破れた草鞋わらじのこと。つまり意味のないことや、何の役にも立たないことを指します。

なぜこの禅語が大切なのか、臨済宗の修行を例にご説明します。

禅問答の際、修行僧は公案と呼ばれる問題に答えなければなりません。答えが師匠に認められると、次の公案が与えられます。しかし、ここで重要なのは、公案に答えられた回数ではありません。公案と向き合うという過程そのものです。

公案をする本当の目的は、本来の自己を明らかにすること(己事究明)。ですから、過去の答えを大切に持ち続ける必要はありません。いさぎよく手放し、次の問いと向き合わなければならない。修行では、そのように教えられました。

一度得たものには執着せず、捨て去る。
それこそが「破草鞋」の心です。

現代社会では、ときどき過去の成功体験が誇らしくなるときもあります。一つの会社で大きな成果を出したのであれば、その経験はキャリアアップや転職の面接時に役立つでしょう。しかし、新しい環境に移ってからもその経験に自分の価値を置き続けるということはできません。一度、捨て去らないといけないのです。

昔の草鞋は藁でできていましたから、使い古すと土に還していました。こうして畑の肥料として循環させていたのです。

過去の栄光も、また「破草鞋」。これまで成し遂げたことを肥やしにして、新たな環境で一から根を張っていくことが大切なのです。

合掌
洪隠山西芳寺 藤田隆浩

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