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2023.12.15

生活の禅語 「無事」

無事とは、一般的には「取り立てて言うほどの変わったことがないこと」を意味しますが、禅語としての意味は少し違います。自分自身が仏であると気が付いて、外に向かって求める心がやんだのを、臨済宗の祖・臨済禅師は「無事」とお説きになられました。

新型コロナウイルス感染症の流行を受け、2020年にWHOが緊急事態宣言を発令しました。その後、3年あまりの歳月を経て、ようやく2023年5月に緊急事態宣言の終了が勧告され、今までの平穏な日常に戻りつつあります。皆さんはコロナ禍を振り返ってみて、何か学んだことや気付いたことはあったでしょうか。
一度、その当時を振り返り考えてみてください。









・・・







「今、生きている有難さに気が付いた」
「当たり前などなく、日常が尊かった」
といった答えが浮かんだ方もいるのではないでしょうか。

現代人は、過剰な世の中を生きていると言われます。
過剰な情報、過剰な食事、過剰な人間関係...

世の中も日常に戻り、更に師走となると、常に心があちこちに振り回され、自分の心がどんどん疲弊してしまい、気持ちが安らぎません。

でもコロナの時に気が付いたように、
「今、生きていることが有難い」
「当たり前などなく、日常が尊い」
のであります。本来、日常などなく、全てが非日常なのであります。

ただ、普段生活していると、頭で分かっていても忘れていたり、身体に染み込むというところまでいかなかったり、というのが正直なところ。

だからこそ、何も考えずに手放すことが必要です。
もしかしたら、年末の大掃除はうまく出来ているのかもしれません。

また、坐禅は外に向かって求めることを止める修行です。
日常から離れてゆったりと坐り、自分の身体や呼吸に注目する。

生きているのではなく、生かせていただいていることを身体で感じ取り、今日も一日精一杯つとめていきたいと思います。

今生かせていただいている、そのことに改めて感謝をして。

合掌
洪隠山西芳寺 藤田隆浩

※許可を得て撮影しています。

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