2026.6.27
西芳寺の地霊(後編)
日本美術史 古田 亮
堂本印象が描いた、西芳寺の抽象世界
ゲニウス・ロキとは、ラテン語で地霊、場所の精霊を意味します。西芳寺の歴史を振り返るとき、「時間の多層」は重要なキーワードであり、その時代時代の人の営みの折り重なりとは、まさに「ゲニウス・ロキ」と表現するのがふさわしい。
近代日本画壇を代表する画家・堂本印象が西芳寺の本堂に描いた、唯一無二の祈りの世界とは。前編では、印象の画業を初期からたどり、具象画から抽象画へと大胆に画風を変化させていく姿を追っていきました。後編では、いよいよ西芳寺の襖絵の魅力を紐解いていきます。最後まで読めば、きっと見え方が変わるはずです。
古田 亮(ふるた りょう)
東京藝術大学大学美術館教授。東京国立博物館、東京国立近代美術館を経て、東京藝術大学大学美術館で学芸員として展覧会に携わる。専門は近代日本美術史。「琳派RINPA」展、「揺らぐ近代」展、「横山大観」展など多くの美術展を企画。著書にサントリー学芸賞を受賞した『俵屋宗達 琳派の祖の真実』(平凡社新書)、共編著に『近代日本の画家たち』(平凡社別冊太陽)、『日本近現代美術史事典』(東京書籍)など。

宗派を越えて手がけた障壁画制作

堂本印象が西芳寺の襖絵を制作したのは晩年ですが、寺院の襖絵や障壁画については、早い時期から大仕事を重ねています。仁和寺に始まり、東寺や醍醐寺、東京の浅草寺など、いずれも有名なお寺ばかりです。仕事が仕事を呼ぶというのはまさにこのことでしょう。本人も頼まれたら断らないような人でしたので、体力的に大変な時期もあったはずですが、とにかく描き続けました。今の時代なら止められてしまうような、いかにも昭和らしい働き方です。
印象は長い画業の中で、風景画や女性像、宗教画など、さまざまな画題に取り組みましたが、中でも宗教的な画題には力を入れていました。寺院だけでなく大聖堂の壁画も手がけていますので、仏教に限らず、宗教性というものに対して非常に関心の高い人だったようです。特定の宗派にこだわらずに宗教心を深く学び、それぞれの教義に最もふさわしい絵画を追求していきました。
昭和初期には、東福寺の天井画に雲龍図を描いています。西芳寺の抽象画と違って伝統的な画題です。なんだか安心しますね。この頃はまだ襖絵を描き始めたばかりですので、まずは先人に倣い、代々受け継がれてきた画題を勉強するところから始めています。天井画ですのでとても大きく、箒のように大きな筆を使って描いたそうです。

渡欧を経て、昭和33年(1958年)に奉納された京都・智積院の壁画には、印象らしいモダンで生き生きとした世界が広がっています。この後、近代の日本画家たちが各地の寺院に襖絵を納めるようになりますが、この頃から襖絵制作が一種のギャラリーのような側面を持つようになっていきます。堂本印象は、まさにその流れを切り拓いた存在です。
そして昭和40年(1965年)、74歳のときに西芳寺の客殿の襖絵を制作し、その4年後に、全104面の襖絵を本堂に奉納します。
襖絵は動き、移ろうもの

西芳寺の襖絵を鑑賞するうえで、まず意識していただきたいのが、本来、襖絵は動くものであるということです。
襖絵は室町時代から描かれてきて、多くの作品が残っていますが、私たちはそれらを図録の写真や美術館の展示で見ることが多く、一つの画面として捉えがちです。
しかし本来は建物の中にあるものなので、自分が動けば視点は変わりますし、襖そのものも開閉によって動きます。写真や展示のように一つの視点から見るのでは、襖絵の本当の面白さは感じにくい。ですから西芳寺の本堂で襖絵を見るときには、まず自分が動いてみることが大切です。

そしてもう一つ重要なのが、光です。本来、障壁画は自然光の中で見るものです。美術館には自然光が入りませんから、作品がよく見えるような光を一定に当てることになります。そうすると光もまた、一つの見方に固定されてしまいます。
自然光で見たときと蛍光灯の下で見たときとでは、襖絵の見え方は全く違います。
西芳寺の襖絵には、全面に金箔が貼られたもの、水墨画の中に線のように金が引かれているもの、それから一部が着彩されたものがあります。比較的シンプルな構成で作られていますが、光の当たり方によって、その見え方は大きく変化します。特に金は光を反射するため、変化はより顕著です。金地ではない水墨画であっても、暗がりの中で浮かび上がる墨の色は非常に美しいものです。
光は時間とともに移ろうため、たとえば午後二時半には二時半の襖絵があり、その時その瞬間の表情が立ち現れます。障壁画とは、そうした体験とともにあるべきものなのです。

もう一つ、西芳寺の襖絵の特徴として、筆の勢いが感じられる点が挙げられます。
幾何学的な模様であれば、下図をもとにデザイン化して塗り進めるという描き方もありますが、この襖絵はそうではありません。塗るというよりも、書くという行為がある。襖絵は動くものだと先ほど述べましたが、絵そのものにも、強い身体性が感じられます。

完全な抽象でありながら、完全ではない

本堂には全部で七つの部屋があり、それぞれに名前が付けられています。いずれも非常に難しい名前です。
中央の➀遍界芳彩之間は金地の襖絵で、周囲の➁〜➆の部屋は水墨画系の表現になっています。作品の表現とそれぞれの名前がよく合っていますし、堂本印象が抽象画にしばしば難解な題名を付けていたことを踏まえると、ここの部屋の名前も印象自身が考えたのだろうと思います。名前を先に決めてから表現を構想したのか、それとも完成後に名付けたのか。どちらが先かはわかりません。ただ、この作品が思いつきだけで描かれたものでないことは確かです。部屋の間取りや光の入り方、その空間がどういう場所なのかということも含めてきちんと考えて制作されているというのは、一周歩いてみれば感じられるはずです。

西芳寺の襖絵は完全なる抽象画です。禅の世界を具体的な絵柄で説明するのではなく、一度具象を壊し、抽象として再構築することで表現しています。
一方で、梅や蓮を連想させるようなモチーフも随所にあります。完全な抽象でありながら、完全ではない。抽象と具体が入り交じることによって、見る人に何かを想起させる。それが堂本印象の表現です。ですから、「この部分は梅です」といったように解説することには、あまり意味がありません。

明治、大正、昭和の戦前から戦後という大きな時代の変化の中に生きながら、84歳でその生涯を閉じるまで様々な画題に挑戦し続けた堂本印象。そんな彼がたどり着いた芸術の境地が、この西芳寺の襖絵に全面的に展開されています。そうした背景を踏まえて鑑賞すると、これまでとは違った見え方に出会えるのではないでしょうか。
※客殿は通常非公開、本堂の襖絵も通常期は一部のみの公開です。
編集:宮内 俊樹
執筆:細谷 夏菜
写真:望月 小夜加
画像提供:京都府立堂本印象美術館
※許可を得て撮影しています。

京都府立堂本印象美術館
昭和41年(1966年)、堂本印象によって設立された美術館。外装から内装に至るまで、すべてが印象自身のデザインによるもの。建設にあたっては、西洋の宮殿や現代作家の美術館を参考にしながら、独自の美を追求したという。令和7年(2025年)、国の登録有形文化財に登録。
公式ホームページ:https://insho-domoto.com