about Saihoji
見所とその由緒を知る
聖徳太子の別荘にはじまり、西山の地に行基菩薩が開山して1300年。二度の改宗や戦乱、洪水など、長い年月の中で幾度の困難を乗り越え、今日に至ります。特別名勝に指定されている庭園は室町時代に作庭されたものです。当初は白砂青松の姿で、日本初となる枯山水の庭園は、当時の常識を覆す革新的なものでした。現在では庭園一面が120余種の苔に覆われていることから「苔寺」の愛称で親しまれています。こちらでは、時代を超えて多くの方々に愛されてきた西芳寺の境内をご紹介いたします。
本堂(西来堂)
1969年、京都大学名誉教授村田治郎の設計・監督により再建。西来堂の名は中興の祖である夢窓国師によるもので、中国に禅をもたらした達磨が西(インド)から来る、という意味を込めた「祖師西来意」に由来します。合計104面からなる内部襖絵は、堂本印象により描かれた抽象画。本尊は、行基菩薩ゆかりの阿弥陀如来をお祀りしています。参拝者の皆様には、はじめにこの本堂にて写経を行っていただきます。
西来堂の前には、聖徳太子の別荘があった時代から1400年湧き続ける「夕日の清水」と呼ばれる清水があります。湘南亭北の「朝日の清水」とともに黄金池の水源であり、西芳寺の閼伽井でもあります。閼伽井とは、仏事に使用する閼伽水を汲む井戸のことで、この水は毎年4月19日に行われる清凉寺の釈迦如来像のお身拭いに使用されることで知られています。
庭園
西芳寺の代名詞ともなっている「苔寺」の名は、庭園を覆う苔の美しさから生まれた愛称で、大佛次郎の小説『帰郷』が1950年に映画化された折、多くの方の間で受け入れられることとなりました。史跡・特別名勝に指定されている庭園は上下二段に分かれており、上段は枯山水式庭園、下段は黄金池を中心とした池泉廻遊式庭園になっています。夢窓国師が作庭した当時は、「西芳寺十境」といわれる名所があったとされています。現存する建物はありませんが、湘南亭や潭北亭など、再建された建物の名はこの十境に由来しています。(上段の庭は通常非公開)
池泉回遊式庭園
(下段の庭)
「心」の字を象る黄金池を中心とした池泉回遊式庭園。足利義満、義政などの将軍たちが船から庭を眺めた名残りで小舟が浮かび、園路沿いには三つの茶室が並びます。
枯山水(上段の庭)
※通常非公開
夢窓国師によって1339年に築かれた日本最古の枯山水の石組で、上・中・下の3段の滝組からなる豪快な石組は、夢窓国師の生前の墓(寿塔)を造形化したものといわれています。それまで庭園の主流は、池を主とした池泉庭園でしたが、夢窓国師は石組を庭の主役としたばかりでなく、禅の精神性をもその中に表現しました。庭園そのものが禅の精神修練の道場とされた夢窓国師の悟りの境涯が、ここに託されているのです。西芳寺の枯山水はあらゆる枯山水庭園の原点となり、我が国における枯山水庭園の最高峰とも評されます。
黄金池
少庵堂
湘南亭
潭北亭
衆妙門
観音堂
総門
※通常非公開
本瓦葺の薬医門で、1977年に事前申込制を開始して以来、40年以上閉鎖されていました。1970年代、京都で4番目の拝観者数を誇っていた西芳寺。かつて数多くの観光客や修学旅行生が通った参道も、今では苔に覆われ、静寂が満ちています。この風景は、事前申込制導入という西芳寺の決断をあらわす象徴ともいえるのです。