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2026.4.26

生活の禅語 「放下著」

余白のない日々や情報過多の社会のなかで、思考がまとまらない。
そんなときにぴったりなのが、「放下著ほうげじゃく」という禅語です。

これは「執着せずに、捨ててしまえ」という意味です。「放下」とは手放す、横に置く、捨てることを指し、「著」は命令を意味する助辞です。

はじめに、放下著が出てくる問答を見ていきましょう。9世紀を中心に中国で活躍した禅僧・趙州じょうしゅうと弟子の会話です。

初め趙州に参じて問う、「一物いちもつち来たらざる時、如何いかん
州曰く、「放下著」
師云く、「すでれ一物不将来ふしょうらい甚麼なにをか放下せん」
州云く、「放不下ほうふげならば、担取たんしゅし去れ」
師、言下ごんかに於いて大悟す。
(『五灯会元』巻四、厳陽善信尊者)

意訳しますと、弟子が趙州和尚に、「すべてを捨て去って何も持っていないときは、どうしたらいいのでしょうか」と尋ねたところ、趙州は、「放下著(捨ててしまえ)」と答えました。

弟子はもちろん納得できず、「すでに何も持っていないので、捨て去れといわれても、捨てるものがないではありませんか」と反問します。すると、趙州は、「それなら、かついで行け」と答えたのでした。

これだけでは、趙州が何を伝えようとしているのか、少しわかりづらいかもしれません。もう少し言葉を足して説明しましょう。

弟子は、自分は「すべてを捨て去って何も持っていない」、つまり自分は執着を捨て去り、悟りを得ることができたと言っています。

しかし、「何も持たない状態」を追い求めると、かえってそこにとらわれてしまいます。「捨てよう」という思い自体が、新たな執着になっているのです。そこで趙州は、「捨て去るものがないなら、それをかついで持っていけ(まだまだ本当の意味で執着を手放せていないぞ)」と諭しました。言い換えると、「捨てる」という概念すら捨て去らないといけないということです。

では、この「放下著(捨ててしまえ)」を現代の生活にどのように落とし込めばいいのでしょうか。

現代は情報社会で、今の1日の情報量は、平安時代の人の一生分、江戸時代の人の一年分ともいわれるほどです。

そんな状況を作ったのはデジタル社会であり、スマホです。非常に便利なものである一方で、スマホに主導権を握られているところも少なからずあるでしょう。現代においてジムやサウナが流行る理由に、スマホから離れて、何かひとつのことに向き合う時間を求めているという側面があるように思います。

私たちは忙しい日々の中で、多くのものを抱え込みすぎています。情報を得ることで新たな視点や気づきを得られるかもしれませんが、求めている答えは、外側ではなく自分自身の内にあります。

ですから、月に一度でも良いので、スマホから離れ、自分自身と向き合ってみてください。もしお時間があれば、ぜひ西芳寺にお参りいただき、庭園で静かに内省のひとときをお過ごしいただければ幸いです。

本当に大切なことに気づくためには、一度立ち止まり、すべてを手放すことが必要です。

合掌
洪隠山西芳寺 藤田隆浩

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