2024.12.18
生活の禅語 「一期一会」
今、目の前の出逢いが生涯一度限りだと思って接することを説いた言葉です。
言葉の意味は分かりますが、
実践することは非常に難しい禅語です。
私事で恐縮ですが、つい先日急な身内の不幸がありました。
また一緒に食事でもと思い、自分自身のタスクリストにも連絡すると書いていましたが、実現することはありませんでした。
後悔先に立たず、をまさに感じた瞬間です。
一期一会という禅語の深いところは、こういった「後悔」に対して、喝を入れるところだと思っています。
というのも、後悔している最中にも、目の前に出逢いがあるからです。
だからこそ、次は後悔しないように、目の前の出逢いに感謝せねばならぬぞと戒めています。
禅では、まさに「今」に焦点をあてます。
今に焦点をあて続けることができれば、過去に対しての「後悔」や「やり残し」、未来に対しての「不安」や「先延ばし」というのはなくなります。
また「出逢い」と言っても、人についてだけではありません。本かもしれませんし、動物かもしれませんし、雄大な自然かもしれません。
そんな毎日続いていく貴重な出逢い、言い換えれば、皆さん一人一人にしか味わえない「人生の旅路」に感謝し、前を向いて、最期の時が来るまで進んでいかねばなりません。
一期一会のように、分かりやすい禅語ほど、身体に染み込ませるのは難しいものですが、日々「目の前の出逢いに感謝していく」ことを念じてやり続けていくほか、近道はないと考えています。
身近な方の死のような非日常の出来事によって思い知らされずとも、日頃から「当たり前の大切さ」には気付きたいものですが、これもまた難しい課題です。ではどうすれば良いのか?については、生活の禅語・第6回「知足」に綴りましたので、宜しければこちらも併せてお読みください。
合掌
洪隠山西芳寺 藤田隆浩