グローバルナビゲーションへ

メニューへ

本文へ

フッターへ

2023.10.24

西芳寺を継ぐ手しごと
「宮大工」

匠の心と技で、西芳寺を守る

西芳寺を継ぐ手しごと

“Moss Garden”としても世界的に知られる西芳寺。日々参拝者を出迎えるために寺院や庭園は多くの人や技術によって支えられています。西芳寺に携わる方々の仕事の中から、文化を支えるとはなにか、歴史をつなげるとはなにか、を探ります。

第三弾は、建物の調査や修繕・修理といった施工だけでなく、建築工事全般の統括まで、伝統的な技術を駆使して、西芳寺を守ってくださっている宮大工。今回は匠弘堂の二代目棟梁である有馬 茂さんに、仕事を通して得た学びや気づきを伺いました。

有馬 茂
匠弘堂 専務取締役 宮大工二代目棟梁。昭和48年福岡生まれ。北九州高専で化学工学を学ぶも、阪神淡路大震災を機に、サラリーマンから宮大工を志す。以後、京都で宮大工棟梁をされていた岡本弘氏の下で修業し、「五重塔のように逆らうことなく自然体で基本に全力全身、社寺建築のために尽くしたい」という信条で歩み続ける。趣味は津軽三味線。

新しい道に進むなら、一番高い壁に挑戦したい

ー有馬さんのお仕事について教えてください。

私が働く匠弘堂は、社寺建築の設計や施工を手掛けている会社です。若手職人10数名が在籍する中で、私は二代目棟梁を務めています。

大工仕事はもちろんですが、建物の調査や修理計画の策定、見積り、材料手配、工事監理、若い職人の教育など、棟梁として様々な業務を担当しています。ただ、他の職人と一緒に汗を流さないと現場の空気は分かりません。少ない時間ではありますが、現場で自ら作業をすることも大事です。客観的に観察することと、主観的に考えること、どちらも大切にしながら仕事をしています。

ー小さな頃から、大工を目指していたのでしょうか。

大工という仕事には、小さな頃から興味を持っていました。父の趣味が日曜大工だったり、叔父が大工をしていたりと、ものづくりが身近にある環境で育ったことが影響しているのかもしれません。ただ安定した企業に勤めて両親を安心させたいという気持ちがあり、高専を卒業後、物流系の会社に就職しました。

しかし入社してすぐに、このまま働き続けるのが難しいなという思いが芽生えてしまい……。結局、1年経たずして会社を辞めてしまいました。そしてサラリーマンを離れた後、小さな頃に手放した大工という夢が、頭の中に浮かんできたんです。

ー大工の中でも、「宮大工」を選んだのはなぜですか。

宮大工が、大工の仕事の中で一番難しいと聞いていたからです。私は福岡出身なのですが、京都を選んだのは、社寺建築の本場だと思っていたから。せっかく新しい道に進むなら、一番高い壁に挑戦したい。たとえ駄目でも、「当たって砕けろ」という気持ちでしたね。

今から約30年前の話ですので、パソコンやスマホのような便利な道具はなく、タウンページを取り寄せたり、京都の役所に電話をしたりと、地道に求人情報を調べました。応募の手紙を出したのは15社ほど。一番初めに返事がきたところに行く。まさに運命に身を任せようという気持ちで待ちました。そして、最初に返事が届いたのが、匠弘堂の立ち上げ以前に未来の師匠となる岡本棟梁がいた京都市内のとある工務店だったんです。

ー実際に宮大工として働かれてみて、いかがでしたか。

私が宮大工として働き出したのは、阪神淡路大震災の直後。その爪痕は大きく、ワイヤーやロープで支えられ、大工の到着を待っているような、大きく傾いた建物や神社仏閣を間近でたくさん見ました。私が「修復は難しいだろう」と諦めてしまうような現場でも、岡本棟梁は私には思いつかないような手法で工事を進めていったんです。

当時の私は21歳で、社内では最年少でした。岡本棟梁は62歳だったのですが、「もうすぐ引退しようかな」なんてことを言うんですよ。早くこの人からたくさん勉強しなければと、毎日必死でした。

岡本棟梁と一緒に働いていた工務店は、1998年に倒産。2001年には、岡本棟梁と現社長の横川と3人で匠弘堂を立ち上げることになります。岡本棟梁は2015年に享年82歳で逝去されましたが、その教えは今も私たちの中に息づいています。

当事者になったつもりで、工事に臨む

ー西芳寺には、いつから関わっているのでしょうか。

宮大工として、初めて西芳寺に来たのは、2015年頃だったと記憶しています。そのときは、少庵堂(お茶室)が傷んでいるので、どうしたら良いかというご相談でした。

西芳寺は苔寺として有名なことは知っていましたが、訪れるのは初めて。最初は敷地や建物の大きさに圧倒され、とても緊張していましたね。工事で訪問を重ねるうちに、やっと緊張がほぐれ、周囲を見渡せるようになっていきました。

ー宮大工という視点で、西芳寺にはどのような印象を持っていますか。

西芳寺は、凛とした厳しさと、柔らかい空気が同居しているように感じますね。

西芳寺の建物からは、どれも優しい印象を受けます。これは庭園を主役にし、それと共存するような設計がなされているからかな、と。その中で、本堂だけは屋根の厚みを強調した威風堂々とした構えをしており、景観の強弱が丁寧につくられていると思います。

また、私は田舎育ちなので、小さな頃はよく森の中に入って遊んでいました。そういった原体験もあり、自然はそのままの姿が楽しく美しいと考えていたので、つくられすぎた風景があまり好みではなかったんです。その点、西芳寺の庭園は整えられた部分と、そのままの部分が、絶妙に調和していると思います。

ー西芳寺の庭園から、感じることはありますか。

西芳寺の庭園は、苔の勢いがすごいですね。作庭家ではないので良し悪しは分からないのですが、それが放つエネルギーはよく伝わってきます。私は、桜が咲く時期よりも、咲いた後の方が好きなんです。新緑の青々としたエネルギーが、前に出る感じというのでしょうか。西芳寺の庭園では、エネルギーを上と下、木々と苔の双方から強く感じられます。

これは、人間にも重なるところがあると思います。言葉の表面だけでなく、内容や意識が伴っていないと、エネルギーを持たないんですよね。ここで働いてる皆さんは、内面からしゃきっとされています。ですので、私も西芳寺で仕事をする時は、いつも以上に心を引き締めなければと思っています。

ーこれまで西芳寺では、どんな工事をされてきたのでしょうか。

大きな工事のひとつに、客殿(通常非公開)の建具の摺動改善に伴う修理工事がありました。最初は「引き戸が開きにくいので、見てもらえますか」という相談でしたが、詳しく調べてみると、床下の柱が折れかかっていたんです。そのため床の一部が下がって開きにくくなってしまっていたと。一本一本の柱を浮かせつつレベルを調整するなど、重い瓦を降ろさずに修理工事を進めましたが、結果的に大掛かりな工事になりました。

耐震補強として壁を多く作る方法もあったのですが、せっかく開放的な建物なので、なるべくそうしたくありませんでした。

大工は、主役ではありません。建物を建てた方や修理を依頼された方が大切にされている思いを汲み取らなければいけません。それに、お寺様の工事をするということは、間接的に言えば、仏様をお守りするのをお手伝いしていることにもつながります。仕事の大小は関係なく、当事者になったつもりで工事に臨むことを大切にしています。

ー西芳寺ならではの工事の特徴があれば、教えてください。

工事の様子を隠さないということでしょうか。例えば、街中で見かけるビルの工事では、シートで現場が覆われていると思います。しかし、西芳寺ではそういったことをしません。仕事をしているところも、ひとつの絵になるのではという考えがあるからです。

このように開放された現場にいると、「見せる仕事」をしようという気持ちになります。寿司の板前さんが、お客さんの目の前で調理をするときと同じかもしれません。普段の現場にはない緊張感を持って仕事をする中で、工事をするときの姿勢や道具の置き方など、ひとつひとつの所作に意識が及びますし、どんどん良い変化が生まれてきています。

自分が調うことで、得られる知識や技術が変わる

ー有馬さんが宮大工を続けてこられた理由は、なぜでしょうか。

とにかく、面白いからですね。そして、奥が深い。仕事自体も面白いですが、日々の出会いの中にも面白さがあります。宮大工として、仏教の宗派や教えのこと、瓦の産地、その土地の風土にまつわる話なども身に付けなくてはいけません。宮大工の仕事を通じて得られる優秀で素晴らしい方々との出会い、そして新たな知識・技術の修得の機会がたくさんあり、とても恵まれている仕事だと思います。

ー「面白さ」ですね。

そうです。また面白さの余白を作ってやりがいがダイレクトに感じられるよう、私たちの仕事はなるべく機械化せずに手仕事を大切にしています。機械による加工と手作業とでは、木材への愛着が全く違うんですよ。一から丸太を切り出し、自分の手で加工をするわけですから、我が子のような存在になるんです。

機械化をすれば、確かに作業効率は上がります。しかし、自分の手で難しい技法をひとつひとつ身に着けていくのって、やっぱり面白いんですよ。こうした面白さがやりがいになって、これまで宮大工を続けてこられたのかなと思っています。

ー最後に、技術や経験を引き継いでいくために、大切にしていることを教えてください。

匠弘堂には若い職人がたくさん在籍しているので、どうやって指導していくかは、日々悩むところです。宮大工としての技術はもちろん、それよりも人間としてどうあるべきかが大切だと、年々強く感じるようになりました。それは挨拶をする、身だしなみを整えるなど、当たり前のことを徹底することから始まると思います。自分が調うことで得られる技術も知識も、格段に変わってきますから。

かつて、岡本棟梁は私にさまざまな挑戦をさせてくださいました。早くても5年、普通なら10年経たないとさせてもらえないような、木材を加工するための基準となる目印をつける作業「墨付け」を、1年目の終わりに任せてもらえるようになったんです。私も二代目棟梁として、やる気がある若手にはどんどん挑戦する機会をつくってあげたい。自分の仕事や姿勢を通し、次の世代を育てていけたらと思います。

編集:宮内 俊樹・俵谷 龍佑
執筆:小黒 恵太朗
写真:進士 三紗
※許可を得て撮影しています。

pick up

Members only 心のレッスン
2024.1.4
心のレッスン
「幸せとは」

archive