2024.3.11
五季風光
その一「桜」
中田昭(写真家)
西芳寺における季節の区切りは、四季ともう一つ、苔が潤いを増す梅雨どきを加えて「五季」と称する。そんな五季の魅力を、写真家の中田昭氏がお届け。百回以上訪れた中で捉えた西芳寺ならではの瞬間をお楽しみください。
「かつて、西芳寺は桜の名所であった。」
そんなことばから、西芳寺のどのような風景を想像されるだろうか。来院した人々が苔の緑や静寂に癒された経験は他の場所では得がたいもので、やはり西芳寺=苔寺という図式が出来上がっているかもしれない。
昭和44(1969)年、再建された本堂(西来堂)南側に植えられたしだれ桜は、3月後半にかけ満開を迎える。月光が照らし出す姿は格別で、美しさゆえの儚さをも感じさせてくれる。
西芳寺庭園の作庭当時(南北朝時代)の姿は、いま見るような苔に覆われた庭でなく、黄金池の島々などには白砂が敷かれ、松の植栽や景石、池の畔に立つ瑠璃殿や西来堂と呼ばれる建物が回廊でつながった景色であった。春には桜が爛漫と咲き、天皇をはじめ将軍や側近などを招いて花見や船遊びをするような、雅やかで社交的な側面を持った庭園だったのである。夢窓国師が詠んだ桜の歌も多く遺っており、国師の桜狂いの一面も読み取れるくらいだ。
国師のみならず、日本人の桜好きは、冬が去って明るくなった季節に一気に咲くその美しさ、そして留まることなく散り去る「無常感」に惹かれているのであろう。京都に都が遷った当初は、渡来趣味の梅が好まれたが、平安中期〜後期になると、日本人の心と響きあう桜が愛でられるようになったという変遷もある。禅の無常感や美意識とも通じるところがあり、池泉庭園や枯山水庭園にも桜が植えられている。
そうした華やかな風景がみられた時代から、栄枯盛衰の時代背景と自然の力によって生み出された西芳寺の苔世界に、仏教の「諸行無常」の教えを感じるのは私ばかりではないと思う。
中田 昭(なかた あきら)
1951年(昭和26年)、京都市生まれ。
日本大学芸術学部写真学科卒業。「京文化」をテーマに、風景・庭園・祭りなどの撮影を続ける。(公社)日本写真家協会 会員。
主な著書:『西芳寺新十境』(西芳会)、『源氏物語を行く』『京都の祭り暦』(小学館)、『京都御所 大宮・仙洞御所』『桂離宮 修学院離宮』『京都祇園祭』『・京・瞬・歓・』(京都新聞出版センター)、『日本の庭園・京都』(PIE INTERNATIONAL)など。
※本記事の文章・写真等を無断で引用、転載することを固く禁じます。
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