2024.6.30
西芳寺を継ぐ手しごと
「樹木医」
自然の連鎖を読み、木々の生き様に寄り添う
“Moss Garden”としても世界的に知られる西芳寺。日々参拝者を出迎えるために寺院や庭園は多くの人や技術によって支えられています。西芳寺に携わる方々の仕事の中から、文化を支えるとはなにか、歴史をつなげるとはなにか、を探ります。
第五弾にご登場いただくのは、樹木医の宗實久義先生。樹木医とは、読んで字の如く、木の医師のこと。傷んだ樹木を診断して治療したり、病気にならないよう予防や保全をしたりしています。西芳寺の木々の健康を守る宗實先生に、仕事での学びや、西芳寺と関わる中での気づきを伺いました。
宗實 久義
有限会社エコネット・むねざね代表取締役。姫路市夢前町出身。1949年生まれ。電子部品メーカーなどを経て、2007年に樹木医の資格を取得。全国各地の樹木を診断するだけでなく、講演や研修にも力を入れ、後進の教育にも取り組んでいる。
木々の健康を、見える化する
ー宗實先生のご経歴を教えてください。
もともと私は、電子部品を取り扱う地元のメーカーで働いていました。
会社を辞めて樹木を守る活動を始めたのは、50歳を過ぎてから。サラリーマンとしての最後の3年間は、会社の仕事をしながら、樹木医の先輩である中島先生の下で修行し、この世界に足を踏み入れたんです。
57歳で樹木医の資格を取得し、仕事の幅を広げ、本格的に活動を始めました。
ー異業種からの独立ですが、これまでの経験が生きているなと感じることはありますか?
電子部品は、いつ、どこの工場がつくったのか、すべて追跡することができます。完成した製品でトラブルが起きたときは、それらを特定して、被害が広がらないようにするんです。こうした追跡可能な状態のことを「トレーサビリティ」と言うのですが、樹木医の仕事でも活かせるのではないかと思いました。
木が弱っているなというときは、必ず何かのきっかけがあります。さかのぼって調べることができたら、このときから変化しているな、これが原因かもしれないなと、推察できますよね。だから私は、木々を一番最初に診断したときから、今に至るまでの治療の経過を、一冊のファイルにまとめています。すべての木々のカルテをつくるようなイメージですね。
ファイルにまとめるときは、危険な木は赤色、要注意の木は黄色に色分けするなど、誰が見ても分かりやすい資料にするよう心がけています。治療後も経過観察を行い、その結果をデータとしてすべて残しておく。こうした考え方は、ものづくりの世界で働いてきた経験が生きていますね。
ー仕事をする上で、気を付けていることを教えてください。
わずかな偶然を見逃さないことです。
あるとき、西芳寺の庭園でオオアメイロオナガバチが産卵している瞬間を見つけました。オオアメイロオナガバチは、産卵管を木に突き立て、クロヒラアシキバチの幼虫に産卵します。そして、クロヒラアシキバチは、木を腐らせる原因となる、ミダレアミタケの菌を運んでくるんです。もし産卵を見逃していたら、この木は枯れてしまっていたかもしれません。
このように偶然の出来事から自然の連鎖を読み解くことで、危険を予測しています。
「生きよう」という意思を、お手伝いする
ー宗實先生が西芳寺に関わるようになったきっかけを教えてください。
初めてお話をいただいたのは、8年ほど前の初夏のこと。「本堂前のシダレザクラが弱っているから、診察してほしい」というお声がけでした。
西芳寺に着くと、早速シダレザクラが目に入りました。葉は生い茂っていたので、一見すると元気そうにも感じました。しかし近づいてみると、幹は枯れ、枝の大半が欠損している、満身創痍の状態だったんです。
ー原因は、何だったのでしょうか?
色々と調べてみると、土壌に問題があることがわかりました。硬い石を積み上げた、大きな植木鉢のような場所に木が植えられていたので、成長した根が収まらなくなってしまっていたんです。
シダレザクラは治療が難しい木のひとつ。そのまま症状が進行すれば、衰退して枯れる未来が待っています。
そんな状況の中、木の根本を見ると、ひこばえ(根本から生える若芽)が育っていました。ひこばえは不要な枝と言われていますが、木が弱っているときには、根本から少しでも多くの養分を吸収しようと生えてきます。つまり、このシダレザクラは、「生きよう」という強い意思を持っていたんです。
ーどのように治療は進んだのでしょうか。
治療を始めて最初に効果が現れたのは、立枝(横に伸びている枝から直立して伸びた枝のこと)です。枝が大きく広がり、これまでスカスカだった空間が埋まるようになりました。
2年経つと、そこから花が咲くようになり、回復の傾向が随所に見られました。西芳寺に到着したとき、塀の外からシダレザクラが見えるのですが、毎回そこから成長を観察するのが楽しみの一つですね。
人間の歴史は数百万年ですが、樹木の歴史は3億8500万年ともされています。私たちの大先輩に何かをしてあげようというのは、おこがましいことなのかもしれません。「生きよう」という意思を、少しだけお手伝いする。それが西芳寺の考え方。そんな気持ちで寄り添ってきたシダレザクラは、西芳寺の中でも特に愛着がある木ですね。
今日のこの瞬間が、一番の見どころ
ー西芳寺に初めて来たときの印象を教えてください。
シダレザクラを診察したときが、私にとって初めての西芳寺への訪問でした。診察の後で庭園を一周したのですが、他の庭園に比べて木が大きく、自然のままに管理されているなと感じましたね。
風流で良いなという見方ができる一方で、気をつけた方が良いなと感じる木も、いくつか目につきました。これはもう、職業病ですね。風が吹いて枝が落ちないだろうか、もし参拝者の方が怪我をしてしまったらどうしようかと、心配で仕方ありませんでした。自然であることは大きな魅力ですが、どこかで折り合いをつけなくてはいけません。どんな課題があるか、西芳寺の皆さんと認識をすり合わせて、改善していきました。
今は1年に3、4回ほど、診察のために西芳寺に来ていますが、この数年で木々の状態は格段に良くなりましたね。参拝者をおもてなしする工夫や整備をされており、庭園の中にすっと導かれていく感じがします。
ー西芳寺の庭園について、宗實先生が感じる魅力を教えてください。
変わるものと、変わらないものが、うまく調和しているように思います。
日々変化していく樹木や水面と、どっしりと変わらない石や岩。それらの間を苔がつなぎ、滑らかに見せてくれている。天と地の狭間を苔が縁取り、心休まる印象を与えているのだと思います。人の手だけではなく、自然と時間が生み出した美しさですね。
また一本一本、大きさや種類の異なる木々が寄り添いあって、ひとつの美しい庭園をかたちづくっている。これは、人間の世界でも同じですよね。いろいろな人がいて、それぞれが認め合う。そんな理想の人間社会が想像できるかのようです。
ー庭園を見るなら、どの時期がおすすめでしょうか?
参拝者の方にも同じ質問をされることがありますが、私は「今日の、この瞬間が一番ですよ」と答えています。
木を診察しやすいよう、天気の良い日に西芳寺に来るようにしているのですが、あるとき、強い雨が降ってしまったことがありました。すると苔の間から、小さな真珠を連ねたような水滴が筋となって落ち、水琴窟のような音を奏でていたんです。晴れた日では見つけられなかった自然の姿を、庭園の至るところで楽しむことができました。
また冬の早朝には、凍った水滴がガラス細工のように、苔の上にちりばめられていたときもありましたね。帰りにもう一回見ようと思い、お庭を一周して戻ってきたら、消えてしまっていました。庭園は、そのとき、その瞬間の、最高のおもてなしをしてくれていると思います。
私は「わずかな偶然を見逃さないこと」を信条にしていますが、参拝者の方にも、ぜひ大切にしていただきたいなと思います。
ー最後に、西芳寺の庭園を未来につないでいくために、大切だと考えていることを教えてください。
今を生きる私たちが、その責務を担っている自覚を持ち続け、引き継いでいくことを念頭に管理するべきだと思います。木々の診断書を、誰にでも分かりやすいような形で残しているのも、その一環です。私だけが分かっていても未来につながりませんし、いつかは次の世代にバトンタッチする日が来ますから。
以前、庭園の山桜が枯れてしまったことがありました。しかし枯れる前に、木は花を咲かせて種を落とし、次の芽に命をつなぎます。シダレザクラのように、自分の力で必死に生きようとしている木もあります。そうした木々の生き様が、西芳寺の庭園には至るところに溢れているんです。そんな命のあり方を、皆さんにも、感じていただけたらと思います。
編集:宮内 俊樹・細谷 夏菜
執筆:小黒 恵太朗
写真:望月 小夜加
※許可を得て撮影しています。
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