2026.2.15
生活の禅語 「面壁九年」
「面壁九年」とは、あるがままを受け入れ、ひとつのことに対して長時間粘り強く向き合うことの大切さを説いた禅語です。
この禅語の元になったのは、禅の開祖・達磨大師にまつわる故事。これまでに紹介した「無功徳」「不識」の続きのお話です。
達磨大師は仏法を伝えるため、インドから決死の覚悟で中国に渡られました。そこで梁の武帝に招かれ問答を行いますが、話がかみ合いません。教えを広める機が熟していないことを実感した達磨大師は、揚子江を渡って北魏に移り、山に籠ります。そして、嵩山の少林寺でひたすら壁に向かって1人坐り続けられました。
そして9年坐り続けられた後に現れたのが、達磨大師の後継者となる慧可大祖禅師。中国禅宗の第二祖にあたるお方です。この慧可大師により、禅は中国で広く伝わっていくこととなります。
機の熟す時をじっと待たれた達磨大師のお姿が、「面壁九年」の由来となりました。
この話を聞くと、いつも夏のコケを思い出します。
西芳寺のコケにとって、夏の暑さと日照りは1年の中で最も厳しい試練となります。 西芳寺を代表する、もこもことした姿が特徴のシラガゴケは、乾燥を少しでも防ぐために、ひび割れて、ぎゅっと身を寄せ合って、次の雨までじっと耐えます。洗濯物を広げて干すのと、ぐちゃぐちゃのまま干すのとでは、どちらの方が水分蒸発しにくいのか考えていただくと分かりやすいかと思います。


人間は自由に動くことができるので、暑ければ涼しい部屋に移動したり、冷蔵庫から冷たい飲み物を取り出したりすることが出来ます。しかし、シラガゴケは一度生を受けた場所から動くことが出来ません。文句の1つもなしに自然の摂理に抗うことなく、暑さを受け入れじっと待ち続けます。
達磨大師は後継者が現れるまで、シラガコケは酷暑が終わるまで、じっと待ち続けました。
我々現代人は、日々綿密な計画を立て、確実に望む未来を叶えようと先回りして動きます。けれども、思うような成果が得られないとき、ひとつのことに腰を据える前に、早々に目標を諦めてしまったり、簡単に手に入るものばかりを求めてしまったり。気づけば、本当にやりたかったことや、心の奥で望んでいたことから、少しずつ遠ざかってしまっていた、という経験はないでしょうか。
「面壁九年」を通じ、今をありのままに受け入れ、待つときはじっと待つことの大切さと尊さを思い返していただければ幸いです。
合掌
洪隠山西芳寺 藤田隆浩