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2026.1.17

小さなコケたちが教えてくれること(前編)

大石善隆

西芳寺の庭園を覆うコケたち。ふわふわと小さく愛らしい印象がある一方、繊細さとしたたかさをあわせ持つ生物でもあります。2025年10月、コケの専門家である大石善隆先生が講演会を開催しました。専門家の目線から、コケに宿る魅力に迫ります。

大石善隆(おおいし よしたか)
静岡県出身。京都大学理学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。博士(農学)。現在、福井県立大学 恐竜学部教授。専門はコケの生物学。日本全国をまたにかけ、小さな体で健気にたくましく生きるコケの秘密に迫る。著書に『コケはなぜに美しい(NHK 出版)』、『じっくり観察 特徴がわかるコケ図鑑(ナツメ社)』、『コケ三昧 モコモコ・うるうる・寺めぐり(岩波書店)』、『苔の声(西芳寺オリジナル書籍)』など。

コケは初めて陸に適応した生命

まず、自然史の中でコケはどのような意味を持つのか。それについて、お話をします。今から46億年前に地球が誕生し、約40億から35億年前に地球上で最初の生物が生まれました。その後、約30億年前にラン藻、すなわち、シアノバクテリアが誕生しました。このラン藻を取り込んだ生物が藻類となり、藻類は海の中で栄華を誇っていました。水中を制覇したら次は陸地に進みたいということで、生物は陸上への進出を始めます。しかし、そこには乾燥という大きな壁が立ちはだかっていました。

一般に、藻類では受精卵は生まれてすぐに親から独立します。受精卵から生まれたすぐの個体は細胞数が非常に少なく、乾燥に適応できるほどの機構を持っていません。そのため、生物はなかなか陸上に進出できずにいました。

しかし、今から約4.7億年前、乾燥への適応を持った植物が誕生しました。それが、コケです。

コケから始まった新たな生命のかたち

コケは、生まれたての子どもを親が体内で守り育てることで、乾燥という障壁を乗り越えました。

藻類の受精卵が生まれるとすぐ母体から独立するのに対し、コケの受精卵は母体の中で育ちます。十分に成長してから外に出るため、乾燥した陸地へと広がっていくことができたのです。春や秋などにコケを見ると、先端に丸っぽいふくらみがついていることがあります。よく「コケの花」と呼ばれたりしますが、これは親の植物体から生まれて成長した子どもの姿です。見かけた時は、乾燥への適応の結果だと思ってください。

コケの花

ですが、乾燥への適応はまだ完璧ではありませんでした。コケはとても小さな植物で、環境の変化を受けやすいという特徴があります。その理由のひとつには、水分や栄養分の摂取の仕方が関係しています。コケは根があまり発達していないため、代わりに体の表面から雨や霧を養分として吸収しています。雨のときは水を得て成長していけますが、晴れの日が続くとなかなか育つことができません。

これではやはり不便ということで、今から約4.2億年前、コケから進化を遂げたシダ植物の祖先が現れます。これらの植物は根をもち、そこから水を運ぶ維管束という管を発達させました。

それぞれの葉の横断面を見てみると、違いがよく分かります。

木や草の葉はとても複雑な構造をしています。中央に維管束があって、根から吸い上げた水を運ぶ管が体全体に張り巡らされています。一方、コケは単純な構造をしています。中央に複雑な組織が見えますが、これは体を支える骨のようなもの。水や養分は体の表面から吸収します。

コケの種類によっては、霧吹きで水あげてみると、葉が一瞬でふわっと広がります。他の植物のように根から水を吸収していたら、目に見える速さで葉が開くことはありません。乾燥しているときと湿ってるときとで見た目が変わるのは、コケならではの姿です。

このように、コケの誕生をきっかけに植物はさらなる発達を遂げてきました。地球が生まれてからラン藻という光合成ができる生物が生まれるまで、約16億年。そこからコケが生まれるまで、約25億年。コケが誕生してから花をもつ植物が誕生するまでは約3億年。そこから現在まで約1.5億年です。

こうしてみると、陸地への適応というのは、生物にとって一大イベントだったことが分かります。その適応を最初に成し遂げたのがコケだったんですね。そのことを知っていると、コケの見方もまた変わってくるかと思います。

コケの繊細さに宿る、侘び寂びの風情

コケは日本庭園において、重要な地被植物として扱われてきました。コケは単純な構造をしているが故に、葉が薄いという特徴もあります。その分、光を通しやすく透明感があって、清楚な雰囲気が漂っている。こうした雰囲気が侘び寂びの風情に通じているからでしょう。

コケを庭に使う文化を持つ国は、実は日本だけです。中国や韓国などの近隣国にもありません。北米にはコケを使った日本庭園が一部ありますが、それは単に日本の庭を模したものであって、現地の固有文化に由来するものではありません。そう考えると、苔庭というのは世界の中でも稀な事象。とても面白いものです。

では、なぜコケが日本庭園で使われるようになったのか。日本庭園の原型ができたのは奈良時代あたりですが、コケをわずかに用いたという記録はあっても、庭一面に張り巡らせることはなかったようです。

庭一面にコケが使われ始めたのは、室町時代になってから。室町時代から江戸時代にかけて禅や茶道の影響を受け、侘び寂びの風情が美意識として発達してきました。その美意識の中で、コケを庭園に使うという技法が生まれてきたんです。そうした経緯があって、今の私たちはこの美しい苔庭を楽しむことができています。

小さなコケに秘められた生命力

ここで、少しコケの豆知識についてお話させてください。

コケの寿命についてよく聞かれるのですが、コケは毎年新芽を出して成長を続けています。古くなった部分は当然枯れていきますが、一方で新しく成長している部分もある。なので、コケは人間と違って、個体が枯れない限りは生き続けます。ある意味では、永遠の寿命を持っているとも言えます。

コケの見頃についても、よく聞かれます。ひとつは、6月から7月にかけての梅雨時期です。雨が多くてしっとりしているが故に、深緑の色合いが楽しめます。

もうひとつの見頃は、11月から12月頃。まず、紅葉の深紅とコケの深緑との対比が本当に見事です。冬になると、気温が落ち着き乾燥しづらくなるので、コケがしっとりとしてきます。実は、コケは夏の日照りには弱い一方、寒さにはかなり強いんですね。雪が降っていても青々としていて、とても美しいです。

変わりゆく日本庭園の姿

先ほどお伝えしたとおり、コケは日本庭園の侘び寂びの風情に欠かせない存在です。しかし近年、地球環境の変化によって、そうした庭園の美は少しずつ失われ始めています。

京都の平均気温は、過去50年で1.4℃上昇しました。次の75年で最大4.3℃上昇すると言われています。すなわち、過去50年と今後の75年間で5.7℃上昇することになります。参考に、京都と鹿児島の平均気温差が約3℃、京都と沖縄の差は約7℃です。つまり、京都の気温はこの計125年間で鹿児島をこえて沖縄に近づいていることになります。

その原因のひとつが、ヒートアイランドです。都市が建物やアスファルト舗装など人工物で覆われることで熱を溜め込みやすくなる現象で、地球温暖化とは別のプロセスで気温に影響を及ぼしています。都市は、昼間に太陽の熱を吸収して、夕方から朝方にかけて溜め込んだ熱をゆっくりと放出します。その結果、昼間と夜間の気温差が小さくなりました。最近では、紅葉の色づきが悪くなってきていると言われていますよね。これも、1日の寒暖差が小さくなったことが原因だと考えられています。

同様に、苔庭の姿も大きく変わってきています。1日の気温差が小さくなると、霧や朝露が発生しにくくなります。京都では、都市の規模が今ほどでなかった1960年には年間約60回もの霧が観測されていました。しかし、現在はほぼゼロです。こうした環境下では、コケは暑さという強いストレスを受けるだけでなく、霧や朝露から水分を吸収できなくなります。京都市内のある庭園では、1960年代に青々としていたコケが、今ではほとんど枯れてしまっているところもあります。こうした現象が日本各地で発生しており、コケは姿を消しつつあるんです。

コケは小さな警鐘を鳴らしている

コケは体の構造が単純であるが故に、環境の変化に敏感に反応します。だからこそ、これから起こる環境の変化とすべき対策を教えてくれる、とても重要な存在なんです。

人間関係に例えると、関係性が安定しているときは、少しいざこざが起きても仲直りできますよね。ですが、関係が崩れかけているときに何か起きると、一気に悪化して修復が難しくなります。自然にも同じことが言えます。環境が整っているときに台風が発生しても、自然はまた再生を始めます。回復力があるからです。ですが、環境が壊れ始めているときにダメージが加わると、簡単には元の状態には戻せません。

ですから、この壊れかけている時期をしっかりと把握して、元の状態に戻す行動を取らなければいけないんです。現在のヒートアイランド現象は、人間にとってはまだ小さな問題かもしれません。夏が暑ければ、エアコンを使えばいい。紅葉の見頃が遅れるのであれば、旅行の予定を遅らせればいい。ですが、今の状況が悪化すると、将来的には苔庭そのものがなくなるかもしれません。紅葉もなくなるかもしれません。世界的にみれば、気候変動が進むと食料不足になる地域もあり、それが引き金になって争いが起こることもあるかもしれません。

コケは、取り返しのつかない状況になる前の段階から、小さな体で警鐘を鳴らしています。コケの変化に気づいて耳を傾けることで、今後の私たちの暮らしや世界のために、今取るべき行動が見えてくるでしょう。


後半は、1月31日公開予定。僧侶の藤田隆浩さんを交え、西芳寺のコケとその姿に通じる禅的な生き方を紹介します。


編集:宮内 俊樹
執筆:福田 安奈
写真:into Saihoji編集部
※許可を得て撮影しています。

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