2025.12.11
禅とアートが接するとき――西芳寺という「空白」が引き出すもの
橋本麻里×藤田隆浩
西芳寺では2025年より「禅とアートの会」を開催しています。本会はアート作品をただ鑑賞しようというものではなく、アートを通じて“西芳寺とは何か”を探る、新たな試みです。第二回目となる2026年のテーマは「西芳寺と近代」。アートディレクターを務める橋本麻里さんと西芳寺副住職の藤田隆浩さんに、企画に込めた想いを伺いました。
橋本麻里(はしもと まり)
学芸プロデューサー、甘橘山美術館開館準備室室長、金沢工業大学客員教授。雑誌等の編集・執筆、文化・芸術に関わるコンサルティング、舞台等の監修など、幅広い領域で活動。国立美術館外部評価委員会(文化庁)をはじめ、各種委員を務める。展覧会企画に「末法/Apocalypse 失われた夢石庵コレクションを求めて」(細見美術館、2017年)、「KUMIHIMO: The Art of Japanese Silk Braiding by DOMYO」(JAPAN HOUSE 2021─2023年)など。

アートを通じて西芳寺を知る
ー「禅とアートの会」は今年で2回目の開催となりますが、この企画が生まれたきっかけを教えてください。
藤田:西芳寺は2031年に開山1300年の節目を迎えます。そこでこの機会に、西芳寺とはどういう場所なのか、また現代に必要なお寺とは何だろうかということを、もう少し掘り下げてみたいと思いました。
西芳寺にお越しになる方の多くは、「苔寺の苔」や「世界遺産のお寺」を見に来られます。ですが私自身が西芳寺で過ごしていて感じるのは、この場で積み重ねられてきた時間の多層性です。これを皆さんにもお伝えしたいのですが、言葉にするとどうしても伝わりにくくなってしまうと感じていて。
そんな中、アーティストの方からお話を聞くと、この場所の歴史の深さや人々の軌跡のようなものを感じ取ってくださることが多かったんです。だからこの場で何かを表現することで、西芳寺がどのような場所であるかを伝えるきっかけになるのではないかと思い、アートディレクターとして橋本さんに入っていただいて「禅とアートの会」を開催する運びとなりました。

ーアートの会をお寺で開催する意義についてはどのようにお考えですか?
橋本:今、多くの人にとってアートは美術館で出会うものになってしまっています。ですから、そうではない場所でアートに出会い、「こんなアートのあり方もあるのか」と感じられるのは、面白い体験になると思います。
藤田:アートと仏教というと新しい取り組みのように聞こえるかもしれませんが、実際にはずっと昔から深い関係がありますよね。
橋本:そうですね。たとえば室町時代、お寺の襖絵は当時の現代美術作家たちによって描かれていましたから、まさにお寺からアートが生み出されていた時代です。そう考えると、西芳寺がアートを生み出す場になること自体は、決して突然出てきた新しいあり方ではなく、むしろ今まで廃れていたことが蘇っているともいえます。
こうした動きは、作家や美術館といったアートの世界に与える影響もきっとあると思うので、その相互作用にも期待しています。

藤田:この取り組みがアーティストの方にとっても表現の幅が広がるきっかけになるのではないかというのは、私も感じているところです。というのも、前回の禅とアートの会では美術作家の顧剣亨さんに「西芳寺の時間の多層」をテーマに作品を制作していただいたのですが、その時に彼が「この場を表現するには、これまでと同じ手法ではいけないのではないか」とおっしゃっていたんです。
これは、西芳寺が新たなものが生まれる場であることが関係していると直感的に思いました。西芳寺では空海が日本で初めて放生会を行い、夢窓国師が枯山水庭園を作り出している。そうした西芳寺のあり方が、新たなものを生み出そうという原動力になっているのではないでしょうか。
橋本:それと、西芳寺の持つ「空白」も影響していそうです。西芳寺は室町時代より前の歴史がほとんどわかっていないと伺いましたが、それはいわば歴史に深い空白があるようなものではないかと思うのです。
アーティストはその空白を感じ取り、これまで自分になかった表現を引きずり出さないとそれを埋められないと予感するのではないか。そういう、人から何か新しい可能性を引き出すような空白の強さが、西芳寺の魅力なのかもしれません。
お庭が最初から苔庭として作られたのではなく、荒廃によって苔むしたという偶然も、「空白」という感じ方に影響を与えているように思います。

藤田:普通、荒廃したら元に戻したくなるのが人間というものですからね。現実を受け入れるというのは西芳寺ならではの考え方です。本質をしっかり捉えていれば、その上で変わっていく自由さはあっていいと考えています。
橋本:そうした柔軟な肯定が、アーティストの新しい表現の肯定にもつながっていくのでしょうね。
禅宗寺院であるだけ、もしくは苔庭があるだけならば、他のお寺でも同じような作品が生まれるかもしれません。ですが、荒廃を否定しない姿勢から創造される作品は、西芳寺でしかあり得ないものになると思います。
煌びやかなアートと、自然回帰する庭

ー今回のテーマについて教えてください。
橋本:テーマは「西芳寺と近代」です。
お寺というと参拝以外では、古い貴重な寺宝を見にいく場所、という印象が強いのですが、近代はお寺が様々な問題に直面した時代です。
藤田:廃仏毀釈から始まり、戦争もありました。
橋本:そうですよね。そこで近代をテーマに選びました。会期中は、堂本印象が描いた本堂の襖絵を全104面、公開します。全点公開は、美術館ではなかなかできないことですし、ガラスケース越しに見るのとは違う、襖絵が存在することで完成する空間を体感していただけます。
この襖絵は昭和に建てられた本堂に奉納されたものですし、夢窓国師が生きた時代の西芳寺とはまた違う空間体験のはず。そんなことも想像しながら、時間の多層性を感じていただければと思います。また、2月23日には東京芸術大学の古田亮先生による講演会も予定しています。
藤田:堂本印象の襖絵もそうですが、西芳寺の近代でいうと、苔むした庭も象徴的な存在です。庭園が苔に覆われたのは江戸時代のことですが、それが評価されたのは近代に入ってから。工業化していく近代において、自然回帰していく庭の姿に価値が見出されたということでしょう。
なので今回の見どころは、庭園の自然と煌びやかなアートとの融合ですね。本会が開催される2月は、庭を休ませるために掃き掃除をしない時期ですので、より自然回帰していて味わい深いと思いますよ。

ー今後、禅とアートの会ではどのようなことを行っていくのですか?
橋本:来年度以降のテーマとしては、「身体性」や「庭」を取り上げていく予定です。改めて自分の身体と向き合い、考え直すきっかけになるような催しができればと考えています。
藤田:最近は頭で考えることが増えてきているので、身体を通じてわかることを大切にしたいですね。と言いながら、実はまだ身体性や庭とアートが結びついていないのですが、橋本さんは何かイメージがありますか。
橋本:まだ具体的なことは思いついていませんが、少なくともこの庭に作品を置く、というような手法ではないだろうなと思っています。
西芳寺の中にもともと存在していたけれども、今まで私たちの目には見えていなかったものに光を当てることで、「西芳寺とは何か」を表現していきたいですね。

藤田:そうですね。ここはぜひ皆さんからも、こういうことをやると西芳寺らしいとか、こんなことをやったら面白いんじゃないかといったご意見をいただけたら嬉しいです。
西芳寺は世界遺産で事前申込制ということもあって、敷居が高いというか、保守的な印象を持たれる方が多いのですが、実際には、現代に必要とされるお寺を目指して新しいことに日々挑戦しています。この禅とアートの会からも、そうしたいきいきとした様子が伝わるのではないかなと思うので、「お寺って実はおもろいんちゃう」くらいの気軽な気持ちで、老若男女問わず来ていただきたいです。
わからないを受け止め、自分と向き合う

ー禅とアートに共通するものは何だと思いますか?
藤田:わからないこと、つまり答えがないということだと思います。AIに聞いたら答えがすぐに出てくるような時代になって、わからないことをわからないと言えない世の中になってきています。そうした現代社会の中でも、わからないことをきちんと許容できるのが禅とアートなのではないでしょうか。
橋本:面白いですね。最近ナラティブというキーワードが流行していますが、人は因果関係のあるストーリーが存在することで、途端に物事を理解しやすくなるそうです。たとえそこにエビデンスがなくても、感情的に納得することを優先させてしまう。
一方で禅やアートは、安易な因果関係や答え、感情的な納得感とは別のところに価値を置いているから、わからないことにも持ちこたえられる、ということですよね。
藤田:おっしゃるとおりです。わかりそうでわからないものに身を置くことで、自分の中でぐるぐると悩んでいるものから抜け出せることがあります。これこそお寺が現代にある意義ともいえますので、西芳寺でそうした時間を味わっていただければと思います。

ー最後に、「禅とアートの会」を訪れる方にどのように過ごしてほしいか、お聞かせください。
藤田:この会は2月に開催されますが、私の中で2月というのは、一年間の終わりという印象があります。年度が終わるのは3月ですが、翌年度のことを考えるためには2月に立ち止まる時間を取ることが大事だと感じています。
橋本:確かに、2月は大晦日とは違う最終日感があります。京都が静かになる時期でもありますので、そうした環境で作品やお庭と向き合うことで、いつもより自分の感覚が開いて、普段では感じられないものも感じられるかもしれません。
昨年度の禅とアートの会の日には雪が降りましたよね。その時に感じたのは、お庭やアート作品に相対したとき、そこから反射してくるのは結局自分自身だということでした。
初めて西芳寺を訪れた時は、お庭の美しさに魅了されて自分との対話までは至りませんでしたが、雪の日の静かな西芳寺で過ごしたことで、そういうことなのかなと気がつきました。
藤田:ただ堂本印象の襖絵を見る、庭を見るといったように、見るだけであれば、真冬よりも別の時期の方がいいんです。それをあえて2月に開催するという良さはそこですよね。
普段の参拝も少人数制にしていますが、今回はさらに絞っているので、ぜひ暖かい格好で来て、自分と向き合う時間を過ごしていただけたらと思います。

折々参拝<禅とアートの会>の詳細は下記リンクよりご覧ください。
禅とアートの会
禅とアートの会 ― 講演会プログラム
聞き手・編集:宮内 俊樹
執筆:細谷 夏菜
写真:into Saihoji編集部
※許可を得て撮影しています。