2024.11.10
縁の交差点(前編)
御立尚資×藤田隆浩
西芳寺で調うということ、閃くということ
西芳寺は2031年に開山1300年を迎えます。悠久の時を超え、今なお多くの人々に愛され続けるその理由は、単なる美しさにとどまらない、もっと奥深い魅力にあります。その秘密を紐解くため、西芳寺顧問の御立尚資さんと僧侶の藤田隆浩さんが、多彩な視点からフランクに語り合いました。
御立 尚資(みたち たかし)
西芳寺 顧問。京都大学経営管理大学院 特別教授。京都大学卒業後、ハーバード大学で経営学修士を取得。日本航空株式会社を経て1993年にボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社し、日本代表・BCGグローバル経営会議メンバーを歴任。現在は京都大学経営管理大学院で教える他、企業の社外取締役や大原美術館理事なども務める。
裏側にある、時間の重なり
-今日は御立さんと藤田さんに西芳寺の魅力をたっぷり語っていただきたいと思います。御立さんは2024年4月より西芳寺の顧問に就任されているとのことですが、何かきっかけがあったのでしょうか。
御立:長くコンサルティング業界で働いていましたが、その後、京都大学のビジネススクール(京都大学経営管理大学院)で教えるようになりました。そこで、学生の立場でいらした西芳寺の方々と接点があったのが始まりです。
藤田:お寺を預かる身として将来のことを考えていく中で、西芳寺はどういう場所か、というのを言語化するときに、まずはお手伝いいただきました。そうして何度も来ていただくうちに、西芳寺を好きになっていただいて。かつ、今後お寺をどうしていこうかという話にも広がっていって、ご縁が深まっていきました。
御立:西芳寺は、お庭が素晴らしい。その中には、時間の多層性があるんですよね。
お寺が作られてからまもなく1300年になりますが、その前にも、この地にはすごく長い時間があるんです。まず、京都が盆地として出来上がるのには数百万年の時間がかかっている。そしてこの辺りには古墳がありますよね。つまりはるか昔からここに人が住む意味があった場所だといえます。今の言葉で言うと、良い気が流れていたり、水が手に入ったりといったことだと思うんですけれども。
その後、聖徳太子の別荘がつくられました。さらには、西芳寺のことをお詳しい方はご存知のように、後に素晴らしいお坊さんだと言われるようになった方々も、修行しておられるんですよね。
藤田:法然上人や夢窓国師ですね。
御立:そう。だから、それぞれの時代の時間が重なっている。お庭自体も、日本で初めての枯山水ができて、その後、天変地異を経て苔むすようになり、苔寺になった。つまりこのお庭には、苔の時間とね、それから、石の時間、木の時間というのがあるんですよ。それを、人間がちょっとずつお手伝いして今のお庭になっている。自分が今ご縁があってここに来ているのは、たくさんの時間の上にいるんだなということを自然に感じられるんです。西芳寺とその庭には時間が多層的に流れているのだなとしみじみ思います。
藤田:その多層性を受け入れられているというのが、西芳寺の魅力の一つだと思います。ただ、それは決していいものだけではないです。例えば、ここでは何度も洪水が起きていて、お寺を守れずに荒廃しています。けれど荒廃したからこそ、再興のために夢窓国師がやってきたとも言える。本来仏教というのは、そういう許容する寛容さがあります。これは今の時代に特に必要なところだと思うんです。
御立:だから西芳寺は見た目に美しいだけじゃない、特別な場所なんだと思いますね。
繰り返し歩いて、自分に響くものを探す
藤田:西芳寺のコンセプトは「調律と閃きの庭」としていますが、御立さんにとって、西芳寺で調うことの意義は何でしょうか。
御立:西芳寺のお庭を歩くと、自然の音と自分の中にある微かな声がいろいろ聞こえるんですよね。
葉が擦れ合う音もあれば、木の枝が強く揺れている音もあるし、時間によってはたくさんの鳥の音や、どこか遠くで子供たちが走る音もする。「このお庭ではこれを見せるんだ」というのが決められていなくて、その瞬間の音を感じて、光を感じて、空気を感じるんです。そうすると急に自分が、調律され始める。そういうことが自然とできやすい場所なんですね。
本来人間って、そんな小難しいことは考えていないはずで。一歩一歩、歩きながら五感を全部開いてやると、自分は自然の一部だということに気づくんですよ。それが西芳寺のお庭ならではだと思っていて。
藤田:いいですね。本当にそう思います。
御立:さらに、禅寺であるということ。禅では体を使わないといけない。禅の修行では、まず坐る、作務をする。理屈を考える前にやりなさいみたいなところがあった上で、悟りを目指していくのだろうと思います。その禅とお庭が掛け算になっていて、現代人が失った鋭敏な感性や身体性、自然と備わっていたセンサーを、開いてくれるような気がします。
藤田:あとは、繰り返し行くというところもキーワードになるんだろうなと思います。私は小さい頃からずっと、もう何万回とお庭を回っているのですが、何か煮詰まってくると、いつもお庭を回るんですよね。そうすると、また気づけることがあって。
御立:いいですね。
藤田:坐りに行くと、「そっか、なんか当たり前のことで悩んでいたんだな」と気づく。そういう、何といったらいいのか、この何回もお庭を回る良さ、噛めば噛むほど味が出るスルメイカじゃないんですけど。何かいい表現はないですか。
御立:スルメイカで大丈夫。戻れるところがある、いいじゃないですか。
藤田:御立さんも繰り返しお庭を回っておられますけど、何度も回る中で、おすすめの楽しみ方はありますか。
御立:結構難しくて、一回目はやっぱり美しさに圧倒されるんですよ。どこから見たら一番美しい場所だろうって探しに行っちゃうんですね。
それは自然なことですが、何度かお参りさせていただくうちに、 そうじゃなくて、自分が一番センサーが開いていて気持ちがいいのはどこを歩いている時だろう、というのを探すようになります。そのポイントが見つかったら、ちょっと立ち止まる。そこで呼吸して、ふっと周りをみまわすと、今まで目につかなかったもの、たとえば朽ちかけている木が並んでいるのが、自分の心に刺さっているんだとかわかる。
藤田:お庭を回ること自体、足を使っていますが、見て終わりじゃないというか。この構図の写真が撮りたい、で終わらないところがありますね。写真家の土門拳さんが、西芳寺ほど撮りにくい場所はないとおっしゃってるんですよ。
御立:それは面白い。
藤田:苔寺を表す場所がない、写真家泣かせの場所なんだ、と。 確かに、季節によってももちろん違うし、その日の自身の体調の良し悪しや年齢、最近の仕事の具合だとか、いろいろなものがあるはずで。その時の自分に響くものを探していく楽しさというか。人生の答えは無数にあるのに、お庭はこの構図を見たら終わり、みたいになっているのがむしろ変な話で。お庭の答えもその人の数だけ、もっと言うとその瞬間の数だけあると言っても過言じゃないのかなと思います。
御立:そうですね。限られた時間の中でも、正解を探さずに、自分にピンとくるものを2回か3回でも探せたら、価値がすごくあると思います。それが、調律そのもののような気がしますね。
魔法の解はない
-今度は「閃き」の庭であることについてお聞きしたいと思います。閃きといえば、スティーブ・ジョブズ氏が西芳寺をよく訪れていたそうですね。
藤田:はい。そこで言うと、御立さんにお聞きしたかったのですが、ビジネスマンの方と西芳寺の接点はどういうところにあるのでしょうか。
御立:これは誤解されてはいけないので難しい言い方になるのですが、短期的な閃きや解を求めるビジネスマンに西芳寺は向いていません。魔法の解はないんですよ。さっきお話したように、調うことで自分にとっての正解が見つかるんですよね。正しいものを選ぶ力は本来自分に備わっているのに、それを見失っている。そこに気づかせてくれる「あるべき力を取り戻す場所」として捉えてもらうと、ビジネスの世界で厳しく競争して生きてる人にとっての価値は大きい気がします。
閃きがあるっていうとですね、 単純なクリエイティブ研修をここでやったらいいんじゃないかという話になるかもしれない。たしかにそういうものも価値はありますが、それだけでは解にならないよね、といった経験を積み重ねてくると、気づけるものがここにあるのになと思います。
藤田:生半可に思いつく閃きでは、閃きの一部かもしれないですけど、ちょっと違うのかなとも思っていて。そこで止まってほしくないというか。
御立:まさにそうなんです。そこで止まってはいけないんですよね。
(後編はこちら)
聞き手・編集:宮内 俊樹
執筆:細谷 夏菜
写真:望月 小夜加
※許可を得て撮影しています。