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2025.7.6

西芳寺の地霊ゲニウス・ロキ(後編)
松田法子×御立尚資

自然と文化の<あわい>に佇む

ゲニウス・ロキとは、ラテン語で地霊、場所の精霊を意味します。西芳寺の歴史を振り返るとき、「時間の多層」は重要なキーワードであり、その時代時代の人の営みの折り重なりとは、まさに「ゲニウス・ロキ」と表現するのがふさわしい。

西芳寺の「時間の多層」に刻まれた物語を読み解く、松田法子先生と御立尚資さんの対談。前編では、西芳寺庭園が野生と人為の<あいだ>に位置する特性に着目。そこには苔だけでなく、水もまた重要な役割を担っていることがわかりました。後編では、この野生と人為の絶妙な調和がどのように保たれているのか、その秘密に迫りながら、次代へ受け継ぐべき姿を探ります。(前編はこちら

松田 法子(まつだ のりこ)
京都府立大学大学院生命環境科学研究科准教授。専門は建築史・都市史。集落・まち・都市・建築などを介して、人と大地の関係を考える。「都市と大地」、「汀の人文史」などのテーマで研究活動を展開。単著に『絵はがきの別府』(左右社、2012年)、共著に『芸術とリベラルアーツ』(水声社、2025年)、『危機と都市』(左右社、2017年)、『変容する都市のゆくえ』(文遊社、2020年)など。

御立 尚資(みたち たかし)
西芳寺 顧問。京都大学経営管理大学院 特別教授。京都大学卒業後、ハーバード大学で経営学修士を取得。日本航空株式会社を経て1993年にボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社し、日本代表・BCGグローバル経営会議メンバーを歴任。現在は京都大学経営管理大学院で教える他、企業の社外取締役や大原美術館理事なども務める。

意図的な自然と意図せざる自然が混ざり合う

御立:西芳寺のお庭を歩いていて面白いなと思うのは、ここは池泉回遊式庭園でありながら、池を見るのではなくて、池越しに島を見て、樹木を見て、苔を見ていることです。視線の動かし方が他の庭園とは少し違うように作られているのではないかと感じます。

松田:そのように感じるのは、もともと、庭園内に建築があったからこそだと思います。作庭当時には、仏殿の西来堂さいらいどうや楼閣建築の無縫塔むほうとう、眺望施設の縮遠亭しゅくえんていなど、テーマを持った様々な規模の建築や橋がありました。

建築の世界ではシークエンスと言いますが、まるで劇を見ているように、空間がどんどん展開していきます。庭園内を移動しながら、様々な物語が潜む禅の世界を体感し、またそこで修行するためのセッティングがある場所です。

御立:園路をどう歩いて何を見るのかというのは、私たちが勝手に決めているのではなく、実は庭園にガイドされているということですね。移動する中で、自然と視線が誘導されて、見える建物が変わっていく。順に歩いていけば、気がついたら演劇を見ているような体験をしている。

松田:まさにそうです。

御立:庭園全体が緻密に設計されている点では「人為」といえますが、自然に見える景色を作っている、という点では「野生」の要素も入っているといえます。

松田:いわゆる見立ての手法ですね。今は無くなってしまったそうですが、すごく変な形の岩がたくさんあったそうで、それを山に見立てるなどして、自然を人為的に再配置していたようです。

御立:京都に限らず日本の庭園を見てみると、どの庭園でも、見立ての装置というのは作っていますよね。この時、野生的にするか人為的にするか、どちらかに寄せているように感じます。

一方で西芳寺は、意図的に作られていながらも、その上に苔が生えることで意図せざるデザインも入ってきているので、すごくハイブリッドな気がします。

松田:まさにその通りだと思います。

夢窓国師が禅の理想世界の縮図のような庭園を徹底的に作り上げたところへ、洪水が押し寄せて苔が生えてきました。その結果、この地域のもともとの湿潤な土地の特性がにじみ出てきて、厳格に作られた理想世界は、ぐずぐずに崩れてしまいました。今の庭園はそのふにゃふにゃになった状態なわけですが、私たちは元の形もわからないままに、その曖昧な形をそういうものだと受け止めている。これは不思議なことですよね。

禅の本質が現れている庭

松田:もう一つ面白いのが、現在の庭はほぼ自然状態だということです。庭には、意図的に植えた植物の他に、実生みしょうといって、種から勝手に草木が生えてきてしまう時があります。

ここは木々が密集していない透けているお庭なので、自然と出てきた芽は摘んでいるのかと思っていたのですが、話を聞くと、9割がた残しているんだそうです。ですから、今のこの庭の在り方として、作為がかなり抑えられているというのが面白い。

夢窓国師の作った理想世界の姿に戻すということはこれまでしていないんですよね。戻したくても戻せなかったという事情もあるのかもしれませんが。結果的に、様々な時代に人の手が入りながら、時に野生が入り混じり、複雑な層となった西芳寺庭園の、まさに現時点を私たちは見ているということがすごくよくわかります。

御立:最近では、自然と人間を分けて考える西欧合理主義は違うよね、人間だって自然の一部だよね、という思想も出てきているように感じます。植物を研究されている方から以前聞いたのは、今は世界のほとんどの地域に人間の手が入っているから、人間の手が入らない部分を自然と呼んでいるけれど、たとえ人間が手を入れていなくても動物が手を入れているから、結局手つかずの植物というのはほとんどないんだそうです。生物圏全体の中でバランスを取っているんだとおっしゃっていました。

そう考えると、西芳寺の庭師さんたちは、荒々しい自然に浸食された部分も良しとしながら、手入れをする自分も自然の一部だという思想で作業されているように見えます。ここでは、掃く箒まで手作りなんです。境内にある竹で作って、朽ちたらまた自然に戻していくという仕組みになっている。

たとえ建物が消えても、庭は残る。たとえ荒廃しても、自分たちが手入れをすれば、お寺は残る。だから、すべてをそのままの形で残すのではなく、残るものの手入れをしていったらいいんじゃないか、そんな思想があるように感じます。

松田:それを、庭園を作るんだぞという強く目的化された行為ではなく、日々の作務の中でされているのが特徴的だと思います。その意味でやはりここは多数の庭園とは違って、禅の庭なんだと思うところです。

御立:禅というのも、宗教としての禅もあれば、哲学としての禅もあるでしょうし、禅では身体性も大切にされています。そういう意味では、西芳寺庭園が禅的だと言ったときに、単なる宗教としての禅宗の庭なのではなくて、禅の本質が現れているのではないか。それがここの魅力の一つになっているのではないかと思います。

松田:禅は、器の水を移すように教えを一滴残さず伝えるためのもの、という風に捉えられているそうなので、頭で解釈するのではなく、まるごと受け入れて、それをまるごと伝えていく、そうした姿勢を、西芳寺庭園の在り方と重ね合わせて考えてみると面白そうですね。

過去の時間の多層をふまえ、新たな層を積み上げていく

御立:ここまで1300年の歴史の中で積み重なってきた「時間の多層」をみてきましたが、ではこれから先、西芳寺にどのような時間の層を加えていこう、あるいは、加わっていくだろうかというのを最後に考えてみたいと思います。

私は顧問として、次の50年をどうしていくか、というのを執事長の藤田さんと議論を重ねています。その中で、今、水路の復元事業を行っていますが、それがどのような役割をしていて、何のために復元するのかをきちんと考えないといけない、ただ昔に戻すだけの懐古ではいけないよね、という話をしています。

松田:私は、いまここについて深く考えるということが過去と未来を考えることにもつながっていると思っています。ですが、西芳寺のこれからを考えるとするならば、やはりその土地がもともと持っている質というものを抑え込んでしまっているような状況はよくないだろうと思います。

例として水の話に戻りますが、黄金池の水には、はっきりした出口や排水路が昔あったのでしょうか。それとも、土の下に染み込むなどして川へ出ていっているのでしょうか。つまり西芳寺のいまの水環境は、この土地の元の性格に対してどういうものになっているのかが気になりました。

御立:昔どうだったかはわからないのですが、現在は西芳寺川に流れ出ています。

松田:なるほど。水路の復元というお話があったので、流域という観点から見ると、入れた水をどのように動かして出していくか、ということも大事だと思いましたので。

御立:おっしゃる通りです。今、周囲の山や森を復活させようともしていますが、やはり風の流れと水の流れを土の中も含めて直さないと、復活させることはできません。ですので、「目詰まり」を外していくということも考えています。

たとえば、かつて夢窓国師の時代に水が湧き出ていたところが、阪神大震災の影響で止まってしまっているところがあります。周辺を復活していく中で、そういったところも復元できるのではないかなと考えながら計画を進めています。

それから、次世代の人たちが修行をしたり作務をしたりといった、従来には無い次世代教育の場になるようなものを寺域全体で作りたいとも考えています。ただしその際には、過去にある「時間の多層」を踏まえないと嘘つきになってしまいます。今日のお話にあったように、地質や歴史には意味がありますので、新しいことに挑戦するにしても、歴史の延長線上でできることをやろうというのが今考えていることです。

今回、西芳寺の「時間の多層」を、松田先生の研究テーマである<汀>の視点から探っていきました。私自身もこの、際と際が曖昧になって違った意味を持つようなところを<あわい>と表現してきましたので、そのあわい性が建築や庭園には重要で、西芳寺の魅力なんだということに改めて気づかせていただきました。



編集:宮内 俊樹
執筆:細谷 夏菜
写真:into Saihoji編集部
※許可を得て撮影しています。

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