2025.6.13
西芳寺の地霊(後編)
メディア論 柳瀬博一
超一等地に立つ西芳寺と流域の記憶

ゲニウス・ロキとは、ラテン語で地霊、場所の精霊を意味します。西芳寺の歴史を振り返るとき、「時間の多層」は重要なキーワードであり、その時代時代の人の営みの折り重なりとは、まさに「ゲニウス・ロキ」と表現するのがふさわしい。
「時間の多層」をテーマに、流域という視点から西芳寺周辺地域の発展への考察を語った柳瀬先生の講演会。前編では、西芳寺の立地条件と地域発展の関係性について解説してくださいました。後編では、自然環境の変化と西芳寺を未来に受け継いでいくための重要な視点について考えていきます。(前編はこちら)
柳瀬 博一(やなせひろいち)
東京科学大学教授(メディア論)、小網代野外活動調整会議理事。1964年、静岡県浜松市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経BP社入社。2018年より現職。教育に携わるかたわら執筆活動を続け、『東京国道16号線日本を作った道』(新潮社)『カワセミ都市トーキョー(幻の鳥はなぜ高級住宅街で暮らすのか)』(平凡社)など多数の著書を執筆。社会や環境、文化の変遷を鋭い視点で捉えている。

流域単位で未来を見据える
今後の西芳寺のあり方は、西芳寺流域における水害で変わってくると考えています。流域というのは、簡単に説明すると、ひとつの川に水が集まる集水域のことですね。実は、生活や治水を考えるうえで最も重要な要素となるのが流域です。
流域と治水に関しては、私の師匠にあたる岸由二慶應義塾大学名誉教授の『生きのびるための流域思考』(ちくまプリマー新書)などをぜひ参考にしていただきたいのですが、今回は西芳寺の流域についての私見を記しておきます。

西芳寺川の上流部に大量の雨が降ったとすると、上流部の山林の管理が疎かになっている場合、土石流災害のリスクが高まります。下流部の西芳寺周辺やさらに扇状地エリアが水害に遭う可能性もあります。
何も対策をせず人の暮らす場所に土石流が流れてくると、甚大な被害が発生します。毎年、梅雨の時期から秋の台風の時期に、日本各地で、こうした小流域の源流部で起きた土石流災害が下流部の街を襲い、大きな被害を起こしています。京都に近いエリアでの例を挙げると、2024年7月に滋賀県米原の伊吹山で土石流災害が発生しました。
治水も自然保全も人々の暮らしも、流域の単位で見るというのが非常に重要です。西芳寺を水害から守る策を考えるのであれば、全体の面積や上流部の自然の様子を視野に入れる必要が絶対にあります。
変わりゆく森林環境による課題
上流部の植生が変わることによって、流れてくる水や土砂の量が変わる可能性があります。現在、日本の河川流域で大きな問題になってるのが「緑の多さと深さ」です。今と昔の西芳寺流域を囲う山の様子を見比べると、2008年の方が山が深い。1961年の様子を見ると、明らかに木が浅く裸の箇所もあります。1948年までさかのぼると、ほとんど裸です。


昔のほうが森が多く緑が豊かだというのは、実は勘違いです。昔は薪炭や木材用に木を切っていたので、山はスカスカで明るかったんです。1960年代のエネルギー革命以降、各地で新炭林管理が行われなくなりました。そのため今は森が深く、高くなっています。
西芳寺周辺の自然も、随分変わってきています。今は杉やヒノキが多いですが、この木々は40〜50年前に植えたばかり。その前はほとんどが松だったそうです。この変化は、全国的にも言えることです。松枯れを機に、杉やヒノキが松に取って代わるようになりました。
松というのは、日当たりが良く乾燥した荒山を好みます。そういった環境が今でも残っているのが、海岸付近ですね。松はほかの木と違って潮に強く、昔は木々をどんどん切って地面がむき出しになっている場所が多かった。浮世絵の東海道五十三次を見ると、海岸沿いの裸山に松がひょろひょろと生えている絵があります。空想の風景を描いたのではなく、本当に絵に描かれているような風景だったんですね。
最近は、一部の常緑樹や針葉樹が山に茂りすぎていて、地面に光が届かなくなっています。そうすると、下草が生えてこなくなり、木の根っこの土砂がどんどん削れていき、倒木などが谷に溜まって、ダムを形成したりします。このダムは、一定量の水が来ると決壊します。こうして土石流災害が起きるわけです。

上流部の状態が下流部の未来に影響を及ぼします。西芳寺は、山間を流れる西芳寺川が扇状地へと流れ下っていく、まさに小流域の出口といえる場所に位置しています。西芳寺が誇る、自然と人の手が織りなして作られたすばらしい景観を未来に受け継いでいくためには、境内地だけではなく、流域全体の自然環境の管理が欠かせません。
明治時代の仏教排斥運動や戦後の農地解放の影響で各地の寺領が大きく減っており、お寺だけで地域全体を維持管理するのは物理的に不可能です。だからこそ、西芳寺を次世代に継いでいくためには、京都府や京都市など自治体単位で管理をすることが非常に重要だと思います。
人類憧れの地に西芳寺は建っている
日本の地形の大きな特徴は、急峻な山が海に迫る地形で平野がほとんどないことだと、私は思っています。つまり、山と谷を経ていきなり海に出るんですよね。各地に小流域がずらりと並んでいます。日本は水害が多いのですが、それと同時にこの地形は世界中の人々が憧れてやまない風景を生み出してもいます。

メガマンションという世界中の大豪邸を掲載しているインスタグラムを見ると、どの家も高低差のある場所の上部に建っています。緑に囲まれていて、目下を流れる川は、大河川や海、もしくは湖に繋がっている。文化的か生得的かは分かりませんが、人はこうした景色を好むようです。
西芳寺も高低差がある場所に構えていますよね。緑に囲まれ、湧水があって川が流れている。そして下には大きな川があります。こうした風景は国内でも希少になってきています。日本は小さな流域に恵まれていると言いましたが、都市化が進む中で自然が失われている場所もあります。例えば東京の都心では、湧水の源流部分は暗渠となっている部分がほとんどです。
西芳寺を含め京都は、豊かな自然を背景にした流域が眺められる貴重な場所です。この風景こそが、人間が一番欲しているのだと知っているのと知らないのとでは違います。どういった風景を未来に残すべきかを知っているからこそ、きちんとした視座を持って西芳寺を未来に受け継いでいけると思うんです。
編集:宮内 俊樹
執筆:福田 安奈
写真:into Saihoji編集部
※許可を得て撮影しています。